池袋暴走事故と身柄拘束(逮捕・勾留)の実務について
目次
1.事件の概要と背景
東京の池袋で4月、乗用車が暴走して母子が死亡、10人が重軽傷を負った事故が発生しました。報道によれば、過失運転致死傷罪または危険運転致死傷罪の可能性があるようです。警視庁は13日、車を運転していた旧通産省工業技術院の飯塚幸三・元院長(88)を現場に立ち会わせて実況見分したと、報道されています。実況見分は、いわば現場での再現等、本人の認識、事故状況の確認作業です。
事故は4月19日に発生。元院長の車が縁石に接触後、赤信号の交差点二つを含む区間を暴走し、通行人らを次々にはねたとのことです。死亡事故であり、重大な死傷結果が生じているにもかかわらず、逮捕・勾留といった身柄拘束が行われていないのも、元官僚という立場が影響したのでは?など、ソーシャルネットワークなどでも話題に上ったようです。
死傷事故という事情を考えれば、逮捕・勾留という可能性はあったものの、一方での他の事情を考えると専門家目線でも、やはり身柄拘束が適しないという判断もあったのかと考えられるところです。以下でこの辺りの事情をみていきたいと思います。
2.逮捕・勾留とは?
(1)逮捕・勾留とは?
ニュースなどでは、だれだれが「逮捕」されました、と報じられることが多く、身柄拘束=逮捕と認識されている方も多いのですが、実際にはそうではありません。逮捕というのは、捜査機関が、逃走・罪証隠滅のおそれがあると判断した際に行われる72時間という比較的短期間の身柄拘束処分であり、その後、裁判所でも必要性が認められれば、10日間の長期間の身柄拘束処分である「勾留」という処分に移行していきます。ここは、事件の種別にもよりますが、10日間の期間の後、もう10日間、合計20日間の拘束処分に移行することが比較的多いと言えます。
(2)無罪でも逮捕されてしまう?有罪なのに、逮捕されない?
そして、逮捕・勾留というのは、いずれも「逃走するおそれ」「罪証隠滅のおそれ」=証拠を隠す、壊すおそれがある場合に、認められる処分です。そのため、最終的に、「無罪か有罪か」というのと完全にはリンクしないのです。たとえば、痴漢事件についてみますと、痴漢冤罪のように本当はやっていないかもしれないけれど、やっていないと罪を認めていない状態ですと、関係者に接触し、口裏合わせをする可能性がある、すなわち、「罪証隠滅のおそれ」があると判断されやすい。一方で、痴漢を「やりました。」と認めていて、身元引受人もついて、必ず捜査協力します、自白します、ということですと、「逃走のおそれ」も「罪証隠滅のおそれ」も低いので、逮捕・勾留されない、という判断もあり得るのです。
(3)袋暴走事故事件では?
あくまで事実関係が、不明確な憶測、噂レベルの記事も出回っており、当方としても正確な事実関係は把握できませんので、あくまで幾つかの仮定を踏まえた上での解説となります。
ア 結果は重大
今回、結果は複数人に重傷を与え、その上、死傷事故まで発生しておりますから、事件結果は重大だと言えます。重大な事件結果であれば、重たい処罰から逃げるために「逃亡のおそれ」が高い、重たい処罰から逃れるために「証拠隠滅」まで行う可能性が高いと、通常、逮捕・勾留の必要性が高い事情になります。
イ 被疑者本人も重傷である可能性
今回、飯塚幸三被疑者自体の容態は、良く分かりませんが、重大な交通事故を引き起こした、その運転者自体も、大きな怪我をしたのではないかと推測されます。たとえば、歩行も困難であり、高齢でもあるのでそれこそ命の危険があり、人とも話せないほどに。そのように仮定すると、歩行できないほどの怪我をしていれば、「逃亡するおそれ」はないだろう。特に、入院していれば、病院のほうで被疑者の身元を確認することができます。それこそ「人と話せない」ほどの重体なのであれば、人に指示を出して「証拠を隠滅」することも難しいだろう。
以上のように、本人自体が、大きな怪我を負っていたことは、逮捕・勾留の必要性を下げる事情となります。実際、弊所の対応事案でも、事案の性質から強く逮捕・勾留の必要性があると考えられる事件でも、その逃亡の際に、複雑骨折を負い病院から動けないような事案では、現行犯逮捕からの釈放手続が取られ、結果として逮捕・勾留されないことなどもありました。
ウ 高齢であること
高齢である、というのも逮捕・勾留を行わなかった一つの要因かと考えられます。高齢であり、逃亡等体力のいる行為を行いづらい、電子機器なども操作が難しく罪証隠滅のおそれが少ないなど。実質的には高齢者かつ怪我を行っている者という立場の体力面も考慮された可能性は高いように思います。
「高齢者」という属性は、刑事訴訟法でも、身柄拘束処分の執行停止の一事情として記載されており、高齢であることが、その生命身体の状況を鑑み、拘束処分について例外的な取り扱いを要している場面もあります(※下記条文は、本件にて適用できるものではありませんが)。
(自由刑の裁量的執行停止)
第482条
懲役、禁錮又は拘留の言渡を受けた者について左の事由があるときは、刑の言渡をした裁判所に対応する検察庁の検察官又は刑の言渡を受けた者の現在地を管轄する地方検察庁の検察官の指揮によって執行を停止することができる。
1.刑の執行によって、著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできない虞おそれがあるとき。
2.年齢70年以上であるとき。
3.受胎後150日以上であるとき。
4.出産後60日を経過しないとき。
5.刑の執行によって回復することのできない不利益を生ずる虞があるとき。
6.祖父母又は父母が年齢70年以上又は重病若しくは不具で、他にこれを保護する親族がないとき。
7.子又は孫が幼年で、他にこれを保護する親族がないとき。
8.その他重大な事由があるとき
3.まとめ
今回取り扱った事件の詳細な事実関係も分かりませんので、ある程度推測も交えてのお話しにはなりますが、被疑者本人が重傷を負っていた(その可能性が高い)というのが、決めてだったのではないかと専門家としては思います。重傷を負っており、本人から供述も取れないとなると、身柄拘束処分を行うと起訴(裁判するか否かの判断)までに、証拠を収集する期間も制限され、十分な証拠を集められない、といった事情もあり得ます。
池袋暴走事故の後にも、高齢者の交通死傷事故の報道が相次いでいますが、それらの事件で逮捕されているような案件ですと、被疑者の負った怪我の状況・年齢等を照らし合わせると、本件とは大きな違いもあったのではと思います。
(文責:山村暢彦 令和元年6月26日)
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